SSF

SSF(シャーマニック・エス・エフ)

概念:『偽預言者』とは何か(ハートソン)

身体知篇2にハートソンなるカルト教祖を登場させたい

 

■ハートソン プロフィール

・40代 男性 長身細身ブロンドに青か赤の目

(はっきり言えば、イエスをブロンドにした造形イメージ)

キリスト教カルト教団の教祖。

・自らを「偽預言者」と自称する。

・風貌は古代の宗教者そのものだが、iPadを駆使し、電子書籍化された福音を、インカム越しにゴアトランスに乗せて述べ伝える。

・何故彼はそうなり、そうし、どうしようとしているのか?

 

 偽預言者とは新約聖書(マタイによる福音書ヨハネの黙示録など)や旧約聖書申命記など)の予言として、終末の日の前に現れる悪しき預言者、にせキリストのことを意味する。

 彼にも充分な力があり、奇術や奇跡を行うとされ、それらを蔑称的に「魔術」と呼ぶ。物語論としては、終末の日に正義のキリストが再臨するのであれば、その対抗馬,ライバル的な悪の役柄ということになる。

 カルト系キリスト教団やアメリカのバイブルベルト一体の福音派プロテスタント系のエヴァンジェリカルズ)の諸宗派にはこの「終末の日」やら「偽預言者」をとかく取り上げ、警戒し、ヨハネの黙示録のような所謂、予言書の類を重要視するカルト系が多い。ドキュメンタリー映画「キリスト・キャンプ」など見ればだいたいどんな雰囲気の宗派か理解できる。「終末はすぐそこだ! 地球は滅ぶ!」「イエスを信じないものは皆地獄行きだ!」「資本家,大企業は全て悪魔崇拝だ!」「悪魔崇拝者の陰謀だ!」「地震兵器HAARPが、気象兵器ケムトレイルが云々」と声高に叫ぶ方々の結構な割合がこの「ヨハネの黙示録教」セクターと言える部分がある。

 その是非は僕にはわからない。そもそも信仰なのでとやかく言う権利は我々にはない(我々だって基本的には拝金教、世間教、道徳教の一派だ)。

 しかし、僕としては日本聖書協会版の口語訳・文語訳の「ヨハネの黙示録」を読んだ限り、各福音書やローマ人への手紙あたりの筆圧や内容、メッセージ性と比べれば「ヨハネの黙示録」や旧約の「ダニエル書」はあまりに乖離が感ぜられるというか、禍々しいというか、コンセプトが違い過ぎて着いていけない節があった。

 ところどころ出現する神の造形が多神教のそれに非常に似るのもらしくないのだ。剣のをような舌を突き出し燃え盛る火の目のうんちゃかんちゃら……そういうのを見て、人の子が戦々恐々と震えあがり神の偉大さを肝に銘じるという在り方が、シャーマニズムや原初多神教のテキストにとても似通う。なので僕自身はこれらの預言書系は好まないのだが、一方で、そういうテキストこそ、ある種人々を熱狂させる力があることもまた事実としては面白い。

 アメリカでは30年おきくらいでこれらの預言系とは違う予言系としてのキリスト教リヴァイバルが起こる。要は「終末が来るぞ!」とくれば予言系だ。今もまさにそうだ。ネットを見れば「バーコードの数字は666が必ず入っており、これは予言された獣の刻印が云々」と、目にする度になんとも言えない気持ちになる。

 ……反面、それらの熱狂を生む力への興味が湧く。キリスト教と縁遠い日本人だって、彼等のことをバカになんてできない。五島勉の「ノストラダムスの大予言」なんてどれほどの日本人が眉唾なりにも一度は信じてみたものか。小学生だった僕は月間ムーでそれらを読み込んで、クラスのみんなに布教したものだ。あれは快感だった。皆、結構信じる。クラスの数人が「どうすれば人類は絶滅しないの?」と泣きながら救いを求めて来たときなんかは「あぁ、これが予言者がわざわざ予言者をやる理由か」と全能感のなか不思議な得心をした記憶がある(無論、僕もそれなりには信じてたので、1999年の7月何日かは忘れたが、その日に、「地球の終末という一大事に際して、我々、血を分け合った兄弟にはやるべき使命がある」と真剣に理由を説明して母から駄賃をもらい、姉と弟とでお菓子パーティをやった記憶がある)。

 いずれにせよ予言の類は人を魅了する。

 未来を知れる、滅びを回避するという欲望もそうだが、それ以上に、運命なる力学とか人類の目的とかそういったものを読み解いてみたいという根源や全体性への欲望こそが人々を刺激するのだろう。なので、予言系カルト宗教の信者を我々は簡単に馬鹿にすることはできない。思っている以上に、僕も彼らもそういう類の切実な問いは胸に秘めているはずだからである

 だって、僕は1999年が外れた後は、確か、2000年問題人類滅亡説、2001年空から降る悪の大王スケジュール管理ミス説やら、ちょびっとは信じたりしてた。中学生くらいだったが、友達とガラケーのiモードでオカルト系サイトを作った記憶がある。2003年くらいの段階で、HAARPやケムトレイルフリーメイソンについても既に取り扱っていたのだから、相当にオカルト早熟だったわけだ。2010年代後半から新知識のようにそれらを「終末が来る」と記事にしている人らを見ると「若いな」と老熟の極みのような一言が漏れてしまう。情報の速さとしては僕と友達のiモードサイトは結構、凄かったんじゃないだろうか?

 無論、一番のネタは2012年マヤ歴終末説だった。なんというか、ノストラダムスが外れ人類が滅亡するどころか、大発展するゼロ年代において、2012年終末説は藁にも縋る様な一発勝負のパワーワードだったのだ。「次こそは!(絶対に滅亡してやる)」

 だから、中学生の僕は思った。「ノストラダムスはただの個人のおっさんだったからダメだった。そもそも1999年という数字も翻訳の中で適当に解釈されたものだったし……それに比べてマヤ終末説のなんと精密かつ偉大なことか! カレンダーが2012年12月27日と日にちまで指定しているのがまず良い。ノストラダムスは、なんか~、1999年の7月とかあたり~? みたいな~カンジ~? と90年代らしいルーズさだったのでみんなで盛り上がるタイミングが掴み辛かった。今日か? ん? 明日か? いや来月かな? とやってるうちにどうでもよくなってしまった。しかし、マヤは日にちまで決めてきてるので人類を滅ぼす意志は明確かつ殺戮業務のスケジュール管理は完璧だ。なにより、個人商店の予言でなく、マヤ文明という世界に名だたる学術的にも正統な大文明さまの総意なのだから当たらないわけがない! これは考古学や人類学としてのアカデミックな結論と言っても良い!」と息巻いた。

 そして、時は過ぎ去り、2012年12月27日を迎えたその日。まさに滅亡のタイミングはこの日24時間のうちのどこかだった。

 ――人類はこの日、まだ見ぬ破滅と接触するのだ!

 ……しかし、大学院生となっていた僕は3日前から付き合いはじめた彼女との第二次身体接触のタイミングを見計らっていた。彼女の部屋からの帰り道「う~ん? なんか今日、アステカ文明かなんかの滅亡締め切り日だったっけか?」と漠然と思い出した記憶がある。ゼミのレジュメかなんかの締め切りの方が遥かに僕の人生には重要だった。

 とどのつまり、予言というのは人類に普遍的ともいえる文化の一つだ。だれしも何度かそれを信じてみては、その言い訳としての解釈論に興じ、でもやっぱ外れてるよな~を繰り返すうちにどうでもよくなり成長する(或いは不信心となり信者から地獄行きだと予言される)。

 なので、ハートソンは、予言書に記された偽預言者を自作自演で演じ、聖書の予言成就を人の力で達成するという建てつけで登場する。この男、かなり思慮深く変態的で、予言の下らなさとその一方で人々を惹きつける力の深さを熟知している。この乖離の中に、人が救われることの真髄を見出しているのである。彼はあまりに卑小且つ世俗的なパフォーマンスを行うが、その裏に、人を救済するというミッションのためには、そうせざるを得ないという深遠で聖なるパッションが潜んでいるのだ(凡夫に尊師の思慮は度し難し)――と信徒に想像させることまでを想定している点でかなり変態的。ハートソンの言動、行動は、それを聞くもの見る者を迷宮に誘っていく。彼に本当の使命はあるのだろうか?

 

 

 

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